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「誤植読本」 高橋輝次:編著 ちくま文庫
本書は、「誤植(ごしょく・ごちょく、とも)とは何か?」という、答えのない自然現象に対する悲哀をしたためた一冊です。
「誤植」の文字自体の意味は、簡単に言うと「印刷工程でおきた誤字、脱字、等、文字の間違い」のこと。
「誤植読本」は、誤植とは切り離すことのできない、文筆業を営む人々の悲喜こもごもを集めたエッセイ集です。
最初、あまり期待をせずに本書を手に取りました。ところが、さすがに一流の文筆家が筆をとった文章ばかりなので、大変に読み応えのある本です。
印刷人としては、身につまされるような話もたくさん。いっぽう、「ああ~、そうそう、そういうことある!」と思わず同意させられてしまうエッセイも多く、楽しんで読める点が本書の最大の魅力。
ところが「誤植」とは奥の深いもので、「単純な印刷行程でのミス」とは言えないところがあります。
「誤植とは何か?」という命題には深遠なるものがあります。
ここでは、そんな不可思議きわまる誤植について、アレコレ考えてみたいと思います。
まず、「誤植」という言葉について。
活版印刷工程の用語ですね。まずは、活版印刷の工程を順を追ってみていきましょう。
印刷で誤植がおきるのは、「文選、植字」の工程です。(印刷工程でおきるといわれると、かなりアバウトな表現です)
文選:原稿通りに活字を選び出すこと
植字:選ばれた活字を原稿通りに並べ、文章の体裁を整えること
この両作業工程でおきる文字の間違いが、「誤植」です。活版印刷時代の用語が、「文字間違いの通称」として残っているということです。
PCでの入力作業が一般的になった今は、あんまり言わないかなあ? 誤字、脱字、誤変換。
それでも、「誤植」という言葉が完全に消えてなくなることはないでしょうね。
ということになります。が、ことはそんなに簡単ではありません。
そう、例えば、「文字(活字)の拾い間違いがなぜ起きるのか?」を考えてみましょう。
複数の要因が考えられます。文字を拾うひと、組むひと、入力するひとの読み間違い、原稿が手書きで、しかも難読文字(クセ字)である、活字の棚への戻し間違い。
こういうことです。「徐」の棚に「除」が間違って収められてしまった場合、「徐々に」が「除々に」になってしまいます。
やっかいですね、音としては読めてしまいますので。意図せずに誤ってしまいます。
昔の、といっても20年ほど前までは、印刷会社では、手書きの原稿を、渡されることも多々あり。
まあ、いろいろありました。
上で述べた「除」の間違いは、自身の苦い思い出です。印刷が終了した後に誤植が見つかったときの・・・
印刷があがったときに発見されたら。時間はもとに戻せません。当然、印刷のやり直しになることもあります。そんなことにならないように、最善を尽くすのですが、やっぱり誤植は起こります。
どれだけ注意しても起きるときには起きる。原因を問われても、摩訶不思議な現象だと答えるしかなさそうです。
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意味は、「文章を読んで、文字の間違いをただすこと」です。では、校正と校閲の違いとは何でしょうか?
校正:原稿と制作物とを読み比べて違うところを見つけ出す
校閲:文章中の誤字などはもちろん、内容の矛盾を指摘し、事実確認まで行う
同じ仕事のように思えて、ちょっと違いますよね。校正の場合は「見比べる」ということ。校閲の場合は「客観的に内容を読む」ということ。
「内容に正確さを求めて行われる」のが校閲です。むしろ、文章を読んではいけないのかもしれません。
印刷物において誤植が発生する原因のひとつに、「校正時に見落とされる」ということがあります。
ところが、これ、なかなか難しいのです。
校正をやったことがある方なら分かっていただけると思うのですが、やっぱりどこかで気が抜けたりする。複数人で見ても、どこか抜け落ちる部分が出る。
見落としには、いろんな理由があるんだと思います。だからと言って、決しておろそかにはできないのが校正・校閲。
つまり、プロの仕事が必要だという部分。
出版側には、「間違った印刷物を世に出すわけにはいかない! 」というプライドがありますから。
「誤植読本」に収録されたどのエッセイも読みやすく、含蓄に富み、ユーモアがあり、また明治~大正~昭和の出版・印刷界の実像などにも触れられるという。
一読するだけではもったいない本だと思います。繰り返し読む価値のある一冊。
たとえば、本書にたびたび登場する「築地活版所(東京築地活版製造所)」のこと。
長く日本の印刷文化を支えた活字鋳造所。現在、「築地明朝体」として知られる書体の元となった活字を製造していた会社ですね。
築地活版所にまつわるエピソードなどは、明治・大正・昭和の出版・印刷業界の歴史そのものです。
われわれ印刷人には何となくですが、活版印刷に対する愛着、憧れ、のようなものがあります。築地活版所や秀英社に関する逸話など、実に興味深く読まさせてもらいました。
本文中の「漱石全集」の校正にまつわる逸話。当時(大正時代)の出版や印刷業界のことを深く知ることができる良い資料ですね。
何人かの編集者(元編集者の含む)のエッセイが収録されています。そのいずれもが誠に秀悦。
森まゆみ、小林勇、杉森久英、山田宗睦、高橋輝次、鶴ケ谷真一。
皆さん、「内心忸怩たるものがある」と言いながら、ご自身が体験した(しでかした、とも言う)誤植のアレコレを懐かし気に語っておられます。
中でも、鶴ケ谷真一さんの語る、「活版印刷所との校正のやり取りを巡る逸話」などは心に響くものがあります。植字の職人さんの技やプライド、長年の経験に基づくプロの仕事ぶり、などなど感動をもって語られています。
似たような経験があります。まだ組版がDTP化される前のこと。当時、印刷用の文字を組むには、活字ではなく、写植(写真植字)という技術が使われていました。ネガ状態の文字盤に光を当てて、印画紙に文字を写す技術です。
この写植も職人仕事で、端物の印刷物などは手書きの原稿を渡して「レイアウトはおまかせ」でも、キチンと仕上がってくるという。
現代のDTPオペレーターにはない技と経験を持つ人が多くいたことを思い出します。
校正、そして誤植にまつわる自身の体験として、自分の詩に誤植があったときのことを書かれています。それは、「苦い」が「若い」と間違っていたというもの。
一般に、誤植や校正にまつわる話にはおかしいものが多く、よりによって、なぜこういう風に間違った? なのですが、長田さんの場合は逆。
しかも出版物であれば、複数人が校正をしているハズ。ところが、やっぱり誤植は起きる。さらには、その誤植のほうが友人には好評だった? こともあり、訂正することをあきらめます。
あきらめるどころか、「むしろその偶然を楽しむような心持になっていった」と述懐しています。
「じぶんの詩句の誤植すら新しい展開のきっかけになる」
自らの文章で出会った「意図しない言葉」が、新たな表現に出会うキッカケになることさえある、といえるのかもしれないですね。
との言葉で解説を結んでいます。
本書に収められているかずかずのエッセイは、いずれも高い文章力を持つ方々が書いた文章。であるがゆえに、大変、面白く読めます。
面白く読めるがゆえに、「実際の現場で誤植が見つかった(例えば印刷中になど)ときの悲惨さ」は伝わりきらないのかもしれません。出版社、編集者、校正者、印刷会社、皆が真っ青になる状況。
ああ、思い出したくない。よもや、堀江さんのような境地にはとうてい至れない…
「誤植読本」 高橋輝次:編著 ちくま文庫
本書は、「誤植(ごしょく・ごちょく、とも)とは何か?」という、答えのない自然現象に対する悲哀をしたためた一冊です。
「誤植」の文字自体の意味は、簡単に言うと「印刷工程でおきた誤字、脱字、等、文字の間違い」のこと。
「誤植読本」は、誤植とは切り離すことのできない、文筆業を営む人々の悲喜こもごもを集めたエッセイ集です。
最初、あまり期待をせずに本書を手に取りました。ところが、さすがに一流の文筆家が筆をとった文章ばかりなので、大変に読み応えのある本です。
印刷人としては、身につまされるような話もたくさん。いっぽう、「ああ~、そうそう、そういうことある!」と思わず同意させられてしまうエッセイも多く、楽しんで読める点が本書の最大の魅力。
誤植とは何か?
印刷人にとって、「誤植」という現象は本当に頭の痛い、しかし不思議な現象。複数の人間の目をすり抜け、誤った文字がそこに存在してしまうという。ところが「誤植」とは奥の深いもので、「単純な印刷行程でのミス」とは言えないところがあります。
「誤植とは何か?」という命題には深遠なるものがあります。
ここでは、そんな不可思議きわまる誤植について、アレコレ考えてみたいと思います。
まず、「誤植」という言葉について。
活版印刷工程の用語ですね。まずは、活版印刷の工程を順を追ってみていきましょう。
- 文選
- 植字
- 組版
- 校正
- 印刷
印刷で誤植がおきるのは、「文選、植字」の工程です。(印刷工程でおきるといわれると、かなりアバウトな表現です)
文選:原稿通りに活字を選び出すこと
植字:選ばれた活字を原稿通りに並べ、文章の体裁を整えること
この両作業工程でおきる文字の間違いが、「誤植」です。活版印刷時代の用語が、「文字間違いの通称」として残っているということです。
PCでの入力作業が一般的になった今は、あんまり言わないかなあ? 誤字、脱字、誤変換。
それでも、「誤植」という言葉が完全に消えてなくなることはないでしょうね。
なぜ誤植がおきるのか、その原因
誤植がおきる原因としては、見間違い、読み間違い、勘違いに始まり、知識不足、不注意、そして意図違い、などなど。ということになります。が、ことはそんなに簡単ではありません。
そう、例えば、「文字(活字)の拾い間違いがなぜ起きるのか?」を考えてみましょう。
複数の要因が考えられます。文字を拾うひと、組むひと、入力するひとの読み間違い、原稿が手書きで、しかも難読文字(クセ字)である、活字の棚への戻し間違い。
こういうことです。「徐」の棚に「除」が間違って収められてしまった場合、「徐々に」が「除々に」になってしまいます。
やっかいですね、音としては読めてしまいますので。意図せずに誤ってしまいます。
昔の、といっても20年ほど前までは、印刷会社では、手書きの原稿を、渡されることも多々あり。
まあ、いろいろありました。
上で述べた「除」の間違いは、自身の苦い思い出です。印刷が終了した後に誤植が見つかったときの・・・
印刷があがったときに発見されたら。時間はもとに戻せません。当然、印刷のやり直しになることもあります。そんなことにならないように、最善を尽くすのですが、やっぱり誤植は起こります。
どれだけ注意しても起きるときには起きる。原因を問われても、摩訶不思議な現象だと答えるしかなさそうです。
☆山崎実業 ダンボール収納 ダンボール&紙袋ストッカー フレーム ホワイト 3301☆
「校正・校閲」はプロの仕事
「校正」とか「校閲」という言葉を知っている人は多いと思います。意味は、「文章を読んで、文字の間違いをただすこと」です。では、校正と校閲の違いとは何でしょうか?
校正:原稿と制作物とを読み比べて違うところを見つけ出す
校閲:文章中の誤字などはもちろん、内容の矛盾を指摘し、事実確認まで行う
同じ仕事のように思えて、ちょっと違いますよね。校正の場合は「見比べる」ということ。校閲の場合は「客観的に内容を読む」ということ。
「内容に正確さを求めて行われる」のが校閲です。むしろ、文章を読んではいけないのかもしれません。
印刷物において誤植が発生する原因のひとつに、「校正時に見落とされる」ということがあります。
ところが、これ、なかなか難しいのです。
校正をやったことがある方なら分かっていただけると思うのですが、やっぱりどこかで気が抜けたりする。複数人で見ても、どこか抜け落ちる部分が出る。
見落としには、いろんな理由があるんだと思います。だからと言って、決しておろそかにはできないのが校正・校閲。
つまり、プロの仕事が必要だという部分。
出版側には、「間違った印刷物を世に出すわけにはいかない! 」というプライドがありますから。
そして、「誤植読本」読書感想
明治以降の著名な作家、評論家、編集者、研究者、そして詩人や俳人。「誤植読本」に収録されたどのエッセイも読みやすく、含蓄に富み、ユーモアがあり、また明治~大正~昭和の出版・印刷界の実像などにも触れられるという。
一読するだけではもったいない本だと思います。繰り返し読む価値のある一冊。
たとえば、本書にたびたび登場する「築地活版所(東京築地活版製造所)」のこと。
長く日本の印刷文化を支えた活字鋳造所。現在、「築地明朝体」として知られる書体の元となった活字を製造していた会社ですね。
築地活版所にまつわるエピソードなどは、明治・大正・昭和の出版・印刷業界の歴史そのものです。
われわれ印刷人には何となくですが、活版印刷に対する愛着、憧れ、のようなものがあります。築地活版所や秀英社に関する逸話など、実に興味深く読まさせてもらいました。
本文中の「漱石全集」の校正にまつわる逸話。当時(大正時代)の出版や印刷業界のことを深く知ることができる良い資料ですね。
何人かの編集者(元編集者の含む)のエッセイが収録されています。そのいずれもが誠に秀悦。
森まゆみ、小林勇、杉森久英、山田宗睦、高橋輝次、鶴ケ谷真一。
皆さん、「内心忸怩たるものがある」と言いながら、ご自身が体験した(しでかした、とも言う)誤植のアレコレを懐かし気に語っておられます。
中でも、鶴ケ谷真一さんの語る、「活版印刷所との校正のやり取りを巡る逸話」などは心に響くものがあります。植字の職人さんの技やプライド、長年の経験に基づくプロの仕事ぶり、などなど感動をもって語られています。
似たような経験があります。まだ組版がDTP化される前のこと。当時、印刷用の文字を組むには、活字ではなく、写植(写真植字)という技術が使われていました。ネガ状態の文字盤に光を当てて、印画紙に文字を写す技術です。
この写植も職人仕事で、端物の印刷物などは手書きの原稿を渡して「レイアウトはおまかせ」でも、キチンと仕上がってくるという。
現代のDTPオペレーターにはない技と経験を持つ人が多くいたことを思い出します。
「誤植」の持つ不思議な力
詩人・エッセイストである、長田弘さんという方の文章が載っています。校正、そして誤植にまつわる自身の体験として、自分の詩に誤植があったときのことを書かれています。それは、「苦い」が「若い」と間違っていたというもの。
一般に、誤植や校正にまつわる話にはおかしいものが多く、よりによって、なぜこういう風に間違った? なのですが、長田さんの場合は逆。
しかも出版物であれば、複数人が校正をしているハズ。ところが、やっぱり誤植は起きる。さらには、その誤植のほうが友人には好評だった? こともあり、訂正することをあきらめます。
あきらめるどころか、「むしろその偶然を楽しむような心持になっていった」と述懐しています。
「じぶんの詩句の誤植すら新しい展開のきっかけになる」
自らの文章で出会った「意図しない言葉」が、新たな表現に出会うキッカケになることさえある、といえるのかもしれないですね。
最後に
解説の芥川賞作家、堀江敏幸さんによると、誤植とは「誤って植えられた種」のことだと。「稀ではあるけれど、誤植によって生まれた言葉や文字が、元の文章の展開や発想を、より良い方向へ導く可能性もあるのだ。」そして、
誤植はときに詩的発想を飛躍させ、思索を深化させる。消しても消しても現れる誤植ウィルスは、そんなふうに肯定的に捉えておいたほうが得策だろう。
との言葉で解説を結んでいます。
本書に収められているかずかずのエッセイは、いずれも高い文章力を持つ方々が書いた文章。であるがゆえに、大変、面白く読めます。
面白く読めるがゆえに、「実際の現場で誤植が見つかった(例えば印刷中になど)ときの悲惨さ」は伝わりきらないのかもしれません。出版社、編集者、校正者、印刷会社、皆が真っ青になる状況。
ああ、思い出したくない。よもや、堀江さんのような境地にはとうてい至れない…
リンク
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「誤植」というこの得体のしれない、不可思議な現象について、「誤植読本」を参考図書にしてアレコレと考えてみました。
いいかがでしたか? それでは、また。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「誤植」というこの得体のしれない、不可思議な現象について、「誤植読本」を参考図書にしてアレコレと考えてみました。
いいかがでしたか? それでは、また。
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